内容















ウランとみそ汁


冨田貴史






































宇宙の中で星が生まれる。

寿命を迎えた星が爆発する。

星が爆発する時にウランが生まれる。































星とウラン

今から100億年以上前の宇宙に、水素でできた雲のようなものがいくつもありました。

雲のようなもののいくつかは、たがいに引き寄せあって回転を始め、円盤のようなものをつくっていきました。

回転する円盤の中心では、水素が集まり続け、その密度と圧力はどんどん高まっていきました。

その結果、水素と水素が結びつく核融合反応が起こり、輝く星、恒星が生まれました。

こうして生まれた星は、数十億年から数百億年の間、輝き続けます。

寿命を迎えた星のいくつかは、輝き続けた後に爆発を起こします。

そして、爆発によるエネルギーによって、ウランやトリウム、プルトニウムといった、とても重く、とても強いエネルギーを持った元素が生まれました。

爆発によって宇宙空間に散りばめられたこれらの新しい元素たちは、再び集まって、雲のようなかたまりを作ります。

雲のようなかたまりのいくつかは、たがいに引き寄せあって回転を始め、円盤のようなものを作ります。

そして、ふたたび新しい星が生まれます。

このようなサイクルの中で、今からおよそ46億年前に、太陽が生まれました。

太陽のまわりでは、宇宙にただよっていたガスや岩石が引き寄せあって、いくつかのかたまりができていきました。

それぞれのかたまりは、衝突と合体を繰り返しながら大きくなり、その中でもひときわ大きく成長したかたまりは、惑星へと進化していきました。

そして、惑星のひとつとして、地球が生まれました。

生まれたばかりの地球にすでに存在していたウランは、強いエネルギーを放ちながら、地球そのものを温める熱源のひとつになっていました。

ドイツのマルティン・クラプロートは1789年に、チェコのヤーヒモフの鉱山から新しい元素を発見しました。

ヤーヒモフは、1516年に銀の鉱脈が発見されて以来、800以上の銀山が開かれて栄えた土地でした。

クラプロートがこの土地で発見した新しい元素は、その8年前に発見された太陽系の惑星、天王星(Uranus)にちなんで、ウランと名付けられました。

クラプロートによるウランの発見から100年ほどたった1897年、フランスのアンリ・ベクレルは、ウランが強いエネルギー線(=放射線)を放っていることを発見しました。

そして、ベクレルの研究に影響を受けたマリー・キュリーとピエール・キュリーは、ウランが強い放射線を放ちながら、ウランとは違った性質を持つ別の元素に変化していくことを発見しました。

この発見によって1903年にノーベル賞を受賞したキュリー夫妻は、ウランのように姿を変えながら強い放射線を出す元素を、放射能(※)と名付けました。

※放射能:放射性物質とも呼ばれる。

ウランは、数十億年の年月をかけて、強い放射線を放ちながら、トリウムやラジウム、ラドンやポロニウムへと姿を変えていきます。

そして、最後には鉛に変化して、放射線を出すことのない安定した状態に落ち着いていきます。






 「ウランが巡る旅」

ウラン
トリウム
プロトアクチニウム
ウラン
トリウム
ラジウム
ラドン
ポロニウム
 
アスタチン 鉛
ビスマス
 
ポロニウム タリウム
ビスマス
 
ポロニウム タリウム





マルティン・クラプロートがウランを発見したヤーヒモフの鉱石は、不運な岩という意味を持つ「ピッチブレンド」と呼ばれていました。

ヤーヒモフに800以上の銀山が開かれていった1516年以降、鉱山で働く人たちの多くが体調の変化を訴えるようになりました。

しかし当時は、この土地の鉱床にウランやラジウムといった放射能が存在しているということや、これらの放射能による強い放射線が、人体に影響を及ぼすということは、分かっていませんでした。



当時、多くの鉱夫が奇妙な病気にかかっており、
地下に住む悪い小人のせいとされていた。

1879年にこの病気は悪性の肺の腫瘍と診断された。

しかし、米国がん学会誌に

「最も可能性の高い腫瘍の原因は、ヤーヒモフ立杭の空気に含まれる、
50マッヘ(※)単位にも達するラジウム放射能である」

と掲載されたのは1932年になってのことだった。

 『放射線 -科学が開けたパンドラの箱』
(著:クラウディオ・チュニス/丸善出版)



1マッヘ 13.45ベクレル 1リットル
 50マッヘ =672.5ベクレル 1リットル






ウランやラジウムが発見されたばかりの頃は、それらの放射能が人体に影響を及ぼすということはわかっていませんでした。

しかし、ラジウム博士やキュリー夫妻を始めとする科学者たちが健康の異変を訴えるようになってから、放射能の人体に及ぼす影響についての研究が進められるようになりました。

そのような中、1920年代になっていくつかの国々が「X線とラジウムの放射線から身を守るように」という勧告を出すようになりました。

そして、1928年にストックホルムで開催された「第2回国際放射線医学会」をきっかけに、放射線からの人体を防護するための組織として「国際X線及びラジウム防護委員会(IXRPC)」が設立されました。

同年に発表されたIXRPCからの最初の勧告は「表層組織の障害と内部臓器の異常と血液の変化を防止するための勧告」というものでした。

1945年にウランを使った原爆や水爆などの兵器が使われるようになってからは、医療従事者や研究者だけでなく、多くの人たちが放射線被ばくのリスクにさらされるようになったため、放射線からの防護の対象を広げるため、IXRPCは名称を「国際放射線防護委員会(ICRP)」と変更しました。

その後、放射線からの防護を目的に世界中にたくさんの組織が立ち上がり、今も放射能のよる人体や他の生物への影響についての研究は続いています。

これまでの研究の積み重ねによって、強い放射線を浴びることで細胞のDNAが損傷する可能性があること、体内に取り込んだ放射能が腸の壁面の細胞を損傷させること、放射線を浴びることで体液中の酸素が活性酸素に変化して酸化を促していくこと、などが分かってきています。











星と微生物
地球が生まれてからおよそ10億年が経った頃、地下深くから吹き出すマグマと海水とが出会うあたりに、とても小さな生物が生まれていました。

その頃、微生物と呼ばれる小さな生物たちは、海の中にあるミネラルや有機物などを栄養にして生きていました。

それから何億年かたった後、海に差し込んでくる太陽の光と、海の中にあるミネラルなどを使って、新しい栄養素を生みだせる微生物が生まれました。

太陽の光を使って栄養をつくるこの働きは、光合成と呼ばれています。

今からおよそ10億年前、太陽の光と水と二酸化炭素から、酸素をつくることができる微生物が生まれました。

そのおかげで、地球には酸素が増えはじめました。

地球の大気中に広がっていった酸素の一部は、オゾンに変化し、太陽から差し込んでくる紫外線を遮断するオゾン層が生まれました。

そして今からおよそ4億年前、オゾン層によって生命が紫外線から守られるようになると、微生物の一部は、海から陸にあがるようになりました。

それ以来、微生物たちは地球上の様々な場所で暮らしています。

熱帯や温帯や寒帯、砂漠や火山、湖や沼や池、土の中や海の中、高度上空から深海、海底火山の噴火口まで、それぞれの環境に適応しながら、様々な微生物たちが生きています。



「豊かな田んぼ1gに数十億匹いるらしい」

「一滴の海水に一万匹いるらしい」

「人の腸内に百兆~六百兆匹いるらしい」
















わずか一滴の水の中におびただしい数の物体が、
すべて生きていて目の前に存在している

これほど美しい光景を、私はかつて見たことがない。

-アントニ・ファン・レーウェンフック




1670年代初頭、オランダで織物商を営んでいたレーウェンフックは、趣味であったレンズ磨きの腕を上げて、とても精度の高い顕微鏡を作りました。

この顕微鏡の倍率は270倍で、当時の顕微鏡のおよそ10倍にあたるものでした。

レーウェンフックは、この顕微鏡を使って藻類や細菌、カビなどを発見し、これら小さな生物たちを「微小生物」と名付けました。

その後、フランスのパスツール、アイルランドのティンダル、スイスのホフマン、ドイツのコッホなど、各地の研究者によって様々な微生物が発見、研究され、その中の一部は培養されました。

そして今も微生物の研究は続いており、医療分野、農業や工業、下水処理など様々な分野で活用されています。



「ワクチンづくり」

「抗生物質づくり

「パンやワインやおみそづくり

「土づくり」

「下水をきれいにするよ」






東アジアの微生物

太平洋に面した東アジアの気候は温帯モンスーンと呼ばれ、湿気が多く、かび類が育ちやすい環境になっています。

東アジア各地では、このような条件を活かして、かびや乳酸菌などの微生物を活かした発酵食品づくりが、さかんにおこなわれてきました。

今から三千年ほど昔の古代中国の周の時代には「醤(※)」呼ばれる発酵食品が造られていました。

この時代に編纂された『禮記(らいき)』という書物は、食品の効能や作り方をまとめたもので、この中に『醤用百二十甕』と記されています。

この言葉は、公的な食卓のために120種類の発酵食品が使われていた事を表しています。

これらの発酵食品は、国家公務員である『醢人(かいにん)』『醯人(けいにん)』と呼ばれる専門の職人によって、醸造、管理されていました。






130種類以上あった醤の中には、

穀類を使った「穀醤」

野草や野菜を使った「草醤」

魚介類を使った「魚醤」

獣の肉を使った「肉醤」

などがあるよ。







こうじと暮らし

日本列島においても、古い時代からかびや乳酸菌などを使って、さまざまな種類のお酒や食品が醸造されてきました。

かびの力で行われる発酵は、奈良時代には「かびたち」と呼ばれていました。

この言葉はその後「加牟太知(かむたち)」に変化して、その後「かむち」「かうち」「こうじ」と呼ばれるようになっていきました。

田んぼの中などに住んでいる「こうじかび」と呼ばれるかびは、稲穂に取り付いて、米の中のデンプンを食べて増殖します。

このようにして、田んぼの中のいくつかの稲穂が、こうじかびたちの働きによって黒く膨らみます。

この、こうじかびの働きによって黒く膨らんだ稲穂は「稲魂(いなだま)」と呼ばれています。

稲穂から採取されたこうじかびは、人びとの手によって培養され、様々な発酵食品づくりに活用されていきました。

平安時代から室町時代にかけての日本では、培養したこうじかびを販売する「種麹屋(※)」という職業が生まれました。

種麹屋:たねこうじや。別名は、萌やし屋(もやしや)、もやしもん。

種麹屋が育てたはこうじかびは、蒸した米や麦や大豆と合わせられ、米こうじ、麦こうじ、豆こうじになり、お酒や味噌、醤油、などの発酵食品づくりに活用されていきました。














みそと暮らし

奈良時代以降に生まれたと言われている「味噌」は、大豆とこうじと塩を合わせてつくられる発酵食品です。

味噌には、大豆と米こうじと塩でつくる米味噌、大豆と麦こうじと塩でつくる麦味噌、大豆こうじと塩と水でつくる豆味噌などがあります。

鎌倉時代に入ると、禅宗の影響などによってすり鉢が使われるようになり、豆の粒が残る味噌をすり鉢ですってから食べる「すり味噌」という文化が生まれました。

そして、このすり味噌をお湯にといて飲むところから、みそ汁が生まれました。

室町時代には、ごはんとみそ汁を中心にした「一汁一菜」と呼ばれる、質素でありながら栄養豊かで健康的な食事の文化が広がっていきました。

このような「食をつうじて健康を作っていく」という暮らしの広がりの中で、豆味噌、米味噌、麦味噌などが、地域ごとの特色を生かして、多様なかたちで作られていきました。




☆米みそ☆
大豆と米こうじと塩をあわせてつくる、米みそ。
こうじの割合や塩加減、熟成期間などによっていろいろな色や味になるよ。
白みそ、赤みそ、甘みそ、辛みそなどがあるよ。



☆麦みそ☆
大豆と麦こうじと塩をあわせてつくる、麦みそ。
大麦や裸麦を原料にした味噌で「田舎みそ」とも呼ばれているよ。
主な産地は、九州、四国、沖縄、瀬戸内などだよ。



☆豆みそ☆
大豆こうじと塩と水をあわせてつくる、豆みそ。
豆みそは、味噌のルーツとも言われているよ。
大きな木桶で仕込んで、3年以上ねかせてつくる長期熟成の豆みそは、
愛知、三重、長野、岐阜などでつくられているよ。












ウランと人

地下深くから掘り出されたウランは、強い放射線を出しながら、トリウムやラジウム、ラドンなどに姿を変えていきます。

これら放射能の放つ放射線を医療や農業、軍事産業で利用するため、世界中でたくさんの研究者たちが、研究を続けていきました。

イタリアの物理学者エンリコ・フェルミは、ウランに中性子を当てることで、人為的に放射能を生み出すことに成功し、1938年にノーベル賞を受賞しました(※)。


エンリコ・フェルミがノーベル賞を受賞した研究内容:
「中性子線によって製造される新放射性元素の存在の検証と関連した遅い中性子線によって引き起こされる核反応の発見」


フェルミは、ストックホルムで行われたノーベル賞の授賞式に出席すると、そのままアメリカに移住し、ウランの核反応を使った新型兵器を製造するための国家事業に加わりました。

世界各地から物理学者、科学者を集めて進められた「マンハッタン計画」と呼ばれる国家プロジェクトによって製造されたウランを使った爆弾は、1945716日、アメリカ合衆国ニューメキシコ州アラモゴードに投下されました。

それ以来、ウランの核反応を元にして作られた核兵器は、日本の広島、長崎、ビキニ環礁、エニウェトク環礁、アメリカのネバダ、カザフスタンのセミパラチンスクなどで、2000回以上にわたって使われてきています。

そして、ウラン鉱石を兵器や原子力発電の燃料用に加工する過程で生まれる「劣化ウラン」は、ボスニアやコソボ、アフガニスタンやユーゴ、イラクなどで兵器として使われたり、ヘリコプターのおもりや戦車の装甲に使われています。

そして、原子炉の稼働や廃炉作業、核燃料の製造、運搬、プルトニウム製造(再処理)、放射性物質の貯蔵、処分などの原子力関連の活動は、いずれも環境に放射能をもたらす原因になっています。













ラジウムが犯罪者の手に渡れば、非常に危険なものとなり得ることも考えられる

問題は、人類が自然の秘密を知ることによって恩恵を得る用意ができているのかそれとも知識によって危険にさらされることになるのか、である

ピエール・キュリー(ノーベル賞受賞式典にて)

































ウランとみそ汁

昭和20年8月9日の原子爆弾は長崎市内を大半灰燼にし、数万の人々を殺した。

爆心地より1.8キロメートルの私の病院は、死の灰の中に、廃墟として残った。

私と私の病院の仲間は、焼け出された患者を治療しながら働きつづけた。

私たちの病院は、長崎市の味噌・醤油の倉庫にもなっていた。

玄米と味噌は豊富であった。

さらにわかめもたさくさん保存していたのである。

その時私といっしょに、患者の救助、付近の人びとの治療に当たった従業員に、
いわゆる原爆症が出ないのは、その原因の一つは、
「わかめの味噌汁」であったと私は確信している。

放射能の害を、わかめの味噌汁がどうして防ぐのか、
そんな力が味噌汁にどうしてあるのか。

私は科学的にその力があると信じている。

 ー秋月辰一郎

『体質と食物ー健康への道」(クリエー出版)





194589日、日本の長崎に原爆が投下された時、秋月辰一郎医師が病院長を務めていた聖フランシスコ病院は、みそや米、わかめなどの蔵でもありました。

この病院では当時、わかめのみそ汁と玄米のおにぎりを食べながら、救護や治療、復旧作業にあたるスタッフに被ばく症が出なかったといいます。

秋月さんは、自身がもともと虚弱体質であったこともあり、明治以降の食養学の土台を作った石塚左玄氏や桜沢如一氏からの学びを実践していました。

そして原爆投下後も、病院のスタッフや患者に対して、みそ汁と玄米を中心にした食事による体質改善を勧めていました。









原爆と健康

ウランやプルトニウムなどを使って作られた核爆弾が投下された広島と長崎には、放射能による被ばくと健康に関する公式な記録はほとんど残っていないといいます。

当時、アメリカ政府から日本政府をつうじて、現場の医師たちに「病院には一切のカルテを残してはならない。すべての資料はアメリカ政府が回収する。」という指示が出されていました。

そのような中、92歳まで現役の医師として現場に立ち、世界で最も多くの被ばく者を診療してきたと言われる故・肥田舜太郎さんは、被ばくによる身体への影響を「非定型症候群」として紹介しています。

肥田さんは、被ばくによって起こる、病名を付けることのできない症状としての非定型症候群を著書『内部被曝の脅威』(共著)の中で、ある民医連からのレポートを引用して紹介しています。


『広島・長崎の原爆被害とその後遺 ー国連事務総長への報告』

1 被爆前は全く健康で病気ひとつしたことがなかったのに、被爆後はいろいろな病気が重なり、今でもいくつかの内臓系慢性疾患を合併した状態で、わずかなストレスによっても症状の増悪を現わす人びとがある。
(中・高年齢層に多い。)

2 簡単な一般検診では異常が発見されないが、体力・抵抗力が弱くて「疲れやすい」「身体がだるい」「根気がない」などの訴えがつづき、人なみに働けないためにまともな職業につけず、家事も十分にやってゆけない人びとがある。
(若年者・中年者が多い。)

3 平素、意識してストレスを避けている間は症状が固定しているが、何らかの原因で一度症状が増悪に転ずると、回復しない人びとがある。

4 病気にかかりやすく、かかると重症化する率が高い人びとがある。

「内部被曝の脅威」(著:肥田舜太郎・鎌仲ひとみ)







みそについての研究

194586日に原爆が投下された広島で「みそによって被ばくの後遺症が少なくてすんだ」という話が広島大学の教授であった伊藤明弘さんの元に寄せられました。

1986426日に起こったチェルノブイリ原発事故後には「チェルノブイリ原発事故の際に、北欧では放射能障害を予防するために、多くの人々がヨード剤の服用とともに、みそを食べたり飲んだりした」という話が伝わってきました。

ドイツでは、ハイデルベルク大学附属児童病院のシュバイゲラー博士らによって「豆腐、みそ汁などを毎日食べる日本人の尿から、ガン防止に役立つ化学物質ゲースティンが、欧米人に比べ30倍も多く発見された」というレポートが発表されていました。

このような事実が重なったことをきっかけに、広島大学原爆放射能医学研究所では長年に渡って放射能と味噌に関する様々な研究をおこなっています。

同研究所では、味噌を継続的に摂取していると放射線によって損傷した腸壁の回復が早まり、放射能を体外に排出する力が高まる事などをレポートしています。

そして今でもたくさんの人たちの手によって、味噌と健康の関係についての研究が進められています。

味噌をつくること、販売すること、広めることに関連している企業や研究者などが集まる「中央味噌研究所」には、各地で行われている味噌研究レポートが寄せられています。

そして、中央味噌研究所が監修する「みそ健康づくり委員会」から配信されているニュースレター「みそサイエンス情報」には、各地の大学や研究所からのレポートが紹介されています。

次ページでは、ニュースレター「みそサイエンス情報」の内容をまとめた冊子「みそサイエンス最前線」の中からいくつかの研究レポートのタイトルを紹介します。








放射性物質を除去するみその作用
広島大学原爆放射能医学研究所・癌部門教授 伊藤明弘 19937


みその成分が細胞の老化を予防する
東京大学名誉教授・大妻女子大学教授・農学博士 加藤博通 19945


みそ汁のある食事パターンが骨粗鬆症予防に効果
(財)癌研究会附属病院婦人科医長 陳瑞東 19948


「醗酵」によって生まれるみその老化制御機能
東京農業大学・(財)日本発酵機構余呉研究所所長 小泉武夫 19953


みそは乳癌の発生を抑える
広島大学名誉教授 伊藤明弘 19964


「毎日みそ汁を飲む人にがんが少ない」理由
東京農業大学・農学部教授 菅家祐輔 19968


放射線や発がん物質が消化管におよぼす障害作用をみそはどこまで防げるか
広島大学原爆放射能医学研究所・環境変異研究分野教授 渡邉敦光 19987


XYZ系微弱発光で見るみそとみそ汁の活性酸素除去能
東北大学大学院農学研究科教授 大久保一良 19997


大腸がんの前がん病変(ACF)を抑える完熟みその効果
広島大学原爆放射能医学研究所・環境変異研究分野教授 渡邉敦光 200011


みその摂取習慣と高血圧及び生活習慣病の予防について
 共立女子大学 家政学部臨床栄養学教授 上原誉志夫 20126


以上、「みそサイエンス最前線」(発行:みそ健康づくり委員会)より





広島大学でのみそ研究

広島大学原爆放射能医学研究所で教授をされていた伊藤明弘さんは、日常的にマウスに味噌入りの餌、醤油入りの餌を食べさせたあとに放射性物質を体内に取り込むと、それらの餌を食べていなかったマウスよりも効率的に腸壁細胞の修復が起こる事を実験によって確認しました。

さらに、味噌入りの餌を食べていたマウスが、体内に取り込んだ放射性物質を排出する力も最も強く持っていたということもわかりました。

広島大学の研究所に限らず、多くの研究機関で、被ばくに対する様々な研究がなされています。

ここでは、広島大学原爆放射能研究所の行った研究レポート(※)の一部を抜粋して紹介します。






放射性物質を除去するみその効用-発がんを予防する、みその生理作用」
 広島大学原爆放射能医学研究所・癌部門教授 伊藤明弘  19937

(以下、抜粋です)

一つは、みその成分により、体の代謝活性が良くなるということ。

これは、腸粘膜の再生機能や、放射性物質の排泄機能活性から推察できます。

さらに、みその成分中には、血液中の放射性物質などと物理結合する物質があり、それが、放射性物質を排泄するのだろうと考えられます。

もともと、化学物質であるアイソトープには、主としてたんぱく質などと物理結合しやすい性質があります。

そのため、自然界に飛散したとき、牧草などに付いて、牛や馬の体内に入り、ひいては畜肉や畜乳を介して人体にも取り込まれてしまうわけですが、逆に、結合することで排泄されやすい綿も併せ持っているわけです。

つまり、不溶性の放射性物質は血液中にたまりますが、みその中の成分が血液中に高濃度で含まれていると、これと結びつき、尿や汗などとともに、排泄されることになります。



放射性物質と結合するみその成分が何であるかは確定できませんが、おそらく多糖類や、香り成分のピラジンなどではないかと推測されます。

こうしたみその生理作用は、主としてみその成分の中でも、大豆成分にあると思われますが、単に、みそが発酵食品である側面も大きく関係していると思われます。

というのも、同じ大豆を主原料とし、麹菌で発酵させて造るしょうゆにも、同様の効果が認められたからです。

発酵の際に造られる酵素は、強い解毒作用を持ちますから、これらもみそやしょうゆの放射性物質除去作用の要因になっていると考えられます。

また、別の研究によると、みその成分には免疫細胞を活性化させる非常に強い力がある、ということが報告されています。

こうしたいくつもの要素が絡み合って、みその生理効果が生まれてくるのだろうと考えてよいでしょう。

いずれにせよ、みその生理作用として、①体内に入った放射性物質を取り除く作用、②小腸粘膜の障害を早く回復させる作用があることが実験から確かめられました。




















小腸と健康

人の小腸は、平均しておよそ6メートルの長さで、体の中でもっとも長い内臓といわれています。

口から入って胃などを通ってきた食べ物は、小腸に入ってきます。

そこで食べ物はさらに分解され、その一部は栄養として腸の表面にある細胞から吸収されていきます。

小腸の表面には粘膜が広がっています。

これを小腸粘膜といいます。

小腸粘膜の表面には、絨毛(※)という無数の突起があり、やわらかい絨毯が広がっているようになっています。

※絨毛:じゅうもう。絨毯のような毛。

この絨毛があることによって、小腸の表面積は大きくなり、より多くの栄養素が吸収できるようになっています。

腸の中に入ってきた食べ物や飲み物の中の、水分やミネラル、糖やアミノ酸、ビタミンなどといった様々な栄養が、この絨毛から吸収されて、体内に入っていきます。

また、体内に入ってきた病原菌やウイルスを分解したり、外に誘導するはたらきをする免疫細胞の50%以上が、小腸に集中しています。















長生きの人たちは、主として自然の野菜や果物など加工されていない物を食べ、

揚げ物や肉は少量にし、規則正しい生活と適度の運動(労働)をし、

明るく静かな満ち足りた気持ちで暮らしている。

腸が機能不全に陥れば、体の他の器官にも必ず伝染する。

これが、腸から始まる病気のドミノ現象なのです。

ーバーナード・ジェンセン




カリフォルニア出身の医師であるバーナード・ジェンセンは、チェルノブイリ原発事故の直後、ロシア政府の要請で半年間現地に滞在しました。

そして、リクビダートルとよばれる原発事故の収束作業や廃炉作業に従事する人たちの体内からの放射能の排出や解毒、免疫の向上を助けて、多くの命を救ったといわれています。


彼が現地でおこなった治療は、

・食生活の変化で、ほとんどの人の腸内環境が悪化していること

・ほとんどの病気は、腸内汚染で体内に毒素が溜まったことが原因であること

・宿便を一掃して正常な腸に戻せば、多くの病気は回復する。

という考えの元におこなわれ、その中心には腸の調子を整えることがあったといいます。
















腸の末端はその大きさから見て、理想的には8時間ごとに空になるべきだが、

生活習慣の影響で食べ物を腸内に24時間以上も貯留していることが多々ある。

その結果が体の変調を起こし、潰瘍になったり最悪の場合は癌になったりする。

すべての病気の原因はミネラルやビタミンなど特定の食物成分や繊維質の不足、

善玉菌フローラなど体の正常な活動に必要な、防御物の不足から発生している。

そうした事態になると、悪玉菌が大腸に侵入し繁殖する。

それによって生じた毒は血液を汚染し、

体のすべての組織、腺、器官を徐々にむしばみ破壊してゆく。

アーバスノット・レイン





バーナード・ジェンセンの師であった、イギリスの外科医アーバスノット・レイン医師は、長い歳月を費やして腸と健康の関係について研究していました。

その結果、腸の状態が、ほかのさまざまな内臓の状態に大きく影響を及ぼしていることがわかりました。

そして彼は、薬の投与や外科手術になるべく頼らない、食事療法を中心とする生活改善によって健康を回復する方法を伝え続けました。

このような活動中で生まれた実践が、バーナード・ジェンセン医師などの手によって、チェルノブイリ原発事故後の治療に活かされてきています。







腸内フローラ

フローラは、叢(くさむら)や、植物の群生を表す言葉です。

腸内に数百兆いるといわれる様々な種類の腸内細菌たちは、絨毛の広がる腸の中で、同じ種類のもの同士で集まって、それぞれのテリトリーを作りながら群生しています。

このように腸内で様々な種類の菌が群生する姿が、花畑のように見えるために、腸内フローラという名前がつけられています。

腸内細菌は、それぞれの特性に応じて、様々な形で生命活動を助けています。

































植物の根、人の腸


植物の根は地中に張り巡らされ、根の表面にある栄養吸収細胞(※)が、土から栄養や水分を吸収しています。

植物の根のまわりには、菌根菌や根粒菌といった微生物たちが生きています。

これらの菌は、土の栄養を根に届けたり、土の環境を整えたりしながら、根が排出する成分や土の中の栄養で生きています。

人間の腸の絨毛の表面には、たくさんの栄養吸収細胞が存在しています。

腸の中にある栄養は、腸の表面の栄養吸収細胞から、体内に吸収されていきます。

そして、栄養吸収細胞が広がる絨毛のまわりには、たくさんの腸内細菌が住んでいます。

腸内には、600兆~1000兆、およそ1.5kgの腸内細菌が存在しています。

様々な特性を持つ腸内細菌が、栄養吸収細胞に栄養を届けたり、腸内の環境を整えたりしながら、腸内にある成分を栄養にして生きています。

腸内に入ってきた食べ物は、主に小腸や大腸で解毒、分解され、血液中に含まれる様々な成分に作り変えられて、体内に吸収され、体内の様々な場所に運搬されています。

これらの働きを、様々な特性を持つ腸内細菌が助けています。






















「腸内細菌が腸の中でやっていることの一部を紹介するよ」



余分なコレステロールを体外に排泄する脂質代謝の活性化

病原菌の排除

有害発がん性物質の分解と排泄

酵素の活性化

ビタミンの合成

ホルモンの産生

腸内pHの調整

腸の蠕動運動の活性化
(腸壁にある絨毛の運動を活性化する)

恒常性(ホメオスタシス)の維持と調整

快楽物質ドーパミンを脳に送る

免疫系の助長

など

  
「ほかにもいろいろやっているよ」









私達の腸内には細菌が多い。

これも自然界である。

生命現象消化作用に、有益な細菌の種類も多いはずである。

ことに小腸ではなく、大腸内の消化吸収は、人間の消化液にもよるが、

むしろ細菌属の分解醗酵にその影響をこうむっている。

しかも、これらの細菌はまだ充分科学されていない。

ビフィズス菌属というのは知られている。

これは糖分分解能力は極めて大きい。大腸内にいる。

そのほか脂肪分解能力、蛋白質分解能力に関係の深い菌属もいると考えられる。

古来、日本人の健康いかんは、腹部にありとされている。

腹部充満せりというのを日本人の健康の印にしている。

この充満というのは大腸のことである。

日本人は穀菜食であるために、

大腸の働きがその人の消化能力になっているといっても過言ではない。

大腸では、セルローズ(繊維質)を消化し、ミネラルも吸収される。

すなわち、日本人では繊維素の消化能力がその人の健康度ということである。

それが腸内、特に大腸内細菌の働きである。

それに味噌の菌類も関与するのである。

ー秋月辰一郎













みその菌

みその中には、こうじかびや乳酸菌、酵母といった微生物たちが生きています。

みその熟成が進むと、そこに生きる微生物たちによって、みその中の成分が分解され、様々な栄養素がつくられていきます。

みその中の微生物のこのような働きが、胃や腸でおこなわれる消化活動を助けています。

みそや醤油、梅干などの発酵食品などによるこのような働きは「食物の相互消化」または「事前消化」と呼ばれています。




こうじかびは、
アミラーゼ、プロテアーゼ、リパーゼ、セルラーゼなどの酵素をつくって、
大豆や糀や塩の成分を分解して、
様々な栄養素をつくるよ。



アミラーゼは、
デンプンから糖をつくるよ。



プロテアーゼは、
タンパク質からアミノ酸をつくるよ。



リパーゼは、
脂肪から短鎖脂肪酸や、
ホルモンや細胞膜の原料をつくるよ。



セルラーゼは、
繊維質を分解するよ。



乳酸菌は、
乳酸を作るよ。



乳酸は、
味噌に酸味を与え、
他の雑菌の繁殖を抑え、
味噌を腐敗から守るよ。



酵母は、
エタノールやメタンガスをつくって、
雑菌から味噌を守るよ。






























「熟成した味噌の中に含まれる成分

ビタミンB1
ビタミンB2
ビタミンB6
ビタミンB12
ビタミンE
ビタミンK
カルシウム
亜鉛
葉酸
タンパク質
パントテン酸
飽和脂肪酸
食物繊維
炭水化物
カリウム
リン
ナイアシン
脂質
マグネシウム
ナトリウム
多価不飽和脂肪酸
灰分
オリゴ糖
必須アミノ酸8

など


「いろいろあるよ」
















厳密にいうと、味噌汁を毎日食べるから健康なのか、
健康だから味噌汁が好きなのか、原因と結果の論争になるのである。

それでも、味噌汁を毎朝食べているということが、病気にかからない、
病気にかかっても治り易いということと、
重大な因果関係があることは信じてよいであろう。

味噌汁を食べ始めたからといって、すぐに病気に効くものではない。

副腎皮質ホルモン、抗生物質のように今すぐ効果があるものではない。

毎日欠かさず味噌汁を食べていると、
体質がいつの間にか、病気に負けない体質になっているのである。

薬の効きやすい身体になっているのである。

古くから医学の先哲が養生説に説いている。

ー秋月辰一郎

























「医学の先哲たちはどのように言っていたのでしょう」



みそ汁一杯 三里の力

みそは朝の毒出し

みそ汁で医者いらず

みそ汁たばこのず(※をおろす
※ず:やに、すすのこと。

みそで飲む酒 一杯に毒はなし






























江戸時代に出版された、伝統的な薬や食についてまとめられた書物である『本朝食鑑』の中で、味噌について以下のように書いてあります。



☆本朝食鑑
「味噌」の項より


補中益氣調脾胃滋心腎定吐止瀉強四肢烏鬚髪潤皮膚能収産後血暈敗血及趺撲損傷之血悶壮病後之羸衰老人小児倶好専解酒毒及鳥魚獣菜菌毒




腹の調子を補って、
元気を益して、
消化と栄養分配の力を調えて、
造血と循環の力と精を蓄える力を滋養して、
吐き気をおさめて、
下痢を止めて、
足腰や腕や肩を強くして、
髭や髪を黒くして、
皮膚を潤して、
産後の脳貧血や暈(めまい)を抑えて、
弱った血液が停滞することによって起こる病を予防して、
足の甲の負担を和らげて足の裏の踏ん張る力を強めて、
傷によって受ける外毒や刺激による血の乱れを収める。
病後の痩せ衰えに働きかけて、生命力の回復を促す。
老人、小児、それぞれに好い。
もっぱら、酒や鳥や魚や獣の肉や野菜や野草や菌類の毒を解毒する。

と書いてあるよ。


「本朝食鑑」とは (日本大百科全書より)
江戸時代の食物書。1695年(元禄8)に1212冊本、漢文体で刊行された。著者は人見必大(ひとみひつだい)で医師が職業。1596年に明(みん)で刊行された『本草綱目(ほんぞうこうもく)』に多分に依拠し、品類も同書に拠()って分類しているが、それをうのみにせず実験的に吟味、検討して、庶民の日常食糧を医者の立場から解説し著述している。



















私が、炊事に携わる人々と医療スタッフに厳しく命じたことは、
塩を少しまぶした玄米のお握りと、味噌を多めにいれた濃い味噌汁でした。

このような食事によって、わたし自身、放射能障害をまぬがれ、
医者としてきつい仕事をこなすことができたのです。

放射能は致命的な量でなかったかもしれないが、
岩永修道士、野口牧師、村井看護婦婦長もそうですが、
その他の病院スタッフ、入院患者とわたしを含めて、
みな大変危険な放射能塵の中で生きながらえたのも、
このような食事法によってなのです。

疲労や原爆症を克服して、毎日無事に働くことができたのも、
また放射能障害を免れたのも、この様な食事のおかげです。

ー秋月辰一郎




















みそとコミュニティ

聖フランシスコ病院は、みそや玄米やわかめの蔵でもありました。

病院のスタッフ達は毎日、わかめ入りのみそ汁と、玄米のおにぎりを食べながら治療や復旧作業にあたっていたといいます。

チェルノブイリ原発事故後には、愛知県岡崎市の八帖町にある味噌蔵で作られている「八丁味噌」が、支援物資として現地に送られていました。

八丁味噌は、 徳川家康が生まれた岡崎城から八町(※) の距離にあるいくつかの味噌蔵で作られる、長期熟成の豆味噌です。

※八町:およそ800メートル

八丁味噌は、遠征の時には食糧として持ち運ばれ、江戸城を建立する時には、そこで働く大工や左官、資材などを運搬する人たちなどに、配給されていました。


一方、東北の仙台藩は、地元で作った米味噌を朝鮮出兵の際も船で運び 、各地の藩から来ていた人たちにも配っていました。

仙台藩では、地域で作られた大豆、塩、糀を使って味噌をつくる「御塩噌蔵(おえんそぐら)」と呼ばれる味噌蔵が作られ、そこには糀師や味噌を仕込む職人やその家族が働きながら暮らしていました。

この御塩噌蔵は、江戸にあった仙台藩の出張所の中にも作られ、仙台藩内で作られた大豆や糀や塩が仙台の港から江戸湾まで運ばれていました。

江戸に出張に来ていた仙台藩の人びとは、大井町にあった仙台藩の出張所で味噌を醸造し、江戸の土地で働く人たちに支給していました。

地域ごとにそれぞれの味噌がつくられ、働く人たちのもとに届けられてきた歴史は長く続いています。








ウランと世界

地球が生まれるよりも前から宇宙空間を漂っていたウラン。

プレートやマグマの動きによって地球の中を巡っていたウランは、オーストラリアやカナダやアメリカや、ナミビアやニジェールや、カザフスタンやインドや日本列島などの地下から掘り出されました。

掘り出されたウランは、原子炉に集められ、核兵器を作ったり、電気を作ることに使われています。

原子炉から取り出されたウランは、爆弾などの兵器になったり、放射性廃棄物として保管されたり、空気や水の中を漂ったりしています。

世界中に430基以上ある原子炉の中に、核兵器製造工場の中に、ウランの貯蔵施設に、劣化ウラン弾という放射能兵器が使われたボスニアやコソボ、アフガニスタンやイラクに、ウランは存在しています。

和歌山県の熊取にある、京都大学の原子炉実験所を訪ねたとき、

「厳密にいうと、この研究所にある 0.000001ベクレル/1kgくらいまで測れるような放射線測定器で計ると、放射能汚染されていない食べ物はありません。それくらいたくさんの大気圏核実験が地球上のさまざまな場所で行われ、大気の移動や地球の自転の影響で、世界中のあらゆる場所に放射能が存在しています。」

という話を聞きました。

あらゆる食べものが、放射能を含んでいます。

そして、私たちはその食べものを食べて生きています。

私たちは、少なからず被ばくしています。

私たちの体は、放射能による細胞の変異や破壊にさらされながら、生きようとしています。

そして世界中に、被ばくという現実にさらされながら、なんとか懸命に生きようとしている人たちがいます。







いのちとウラン

マーシャル諸島やビキニ環礁、核実験の影響を受けた太平洋の島々に暮らす人たち。

オーストラリアやカナダやアメリカや、ナミビアやニジェールや、カザフスタンやインドにあるウラン鉱山のそばに暮らす人たち。

劣化ウラン弾が使われたボスニアやコソボや、アフガニスタンやイラクに暮らす人たち。

原発事故が起こったあとにそれまで暮らしていた場所から避難している人たち。

掘り出されたウランがめぐってきた様々な場所に、それぞれの暮らしがあります。

チェルノブイリ原発事故から30年以上たった今、ウクライナ政府は保養庁という機関を作って、廃炉や解体の作業などに従事する人たちや、その家族や、近隣に暮らす人たちの健康を守るための様々な施策を実践し続けています。

ウクライナに保養庁が出来たのは、事故から26年が経った、2012年のことです。

それまでの間にも、子どもの健康回復のためのキャンプや、ひとりひとりの健康状態に合わせたハーブを使った療法や、アーユルヴェーダ、鍼灸などを幅広く取り入れた、様々な実践が各地で行われてきています。

そして今も、それぞれの現場で放射能から命を守るための様々な取り組みが続けられています。

世界中のすべての原子炉の中で、その役割を終えて廃炉になったものや、事故にあって運転を停止したものも含めて、完全に解体されたものは1基もありません。

このような取り組みは、これからも世代を越え、国境を越え、続けられていくものになるでしょう。








みそとコミュニティの未来

コミュニティの中に、みそを作る場ができる。

みそを蓄える場ができる。

みそを分け合って食べる場ができる。

町内会や老人会や、こども会や地域のおまつりの中で、みそづくりがおこなわれている。

公民館や集会場や、幼稚園や学校や役場の中で、みそがつくられている

地域の話し合いの場に、みそ汁がある。

まちの商店街には、みそをつくる共同作業所がある。

そこでつくられたみそは、家にいるおじいさんやおばあさんの元にも、一軒一軒配られている。

子どもたちは、放課後や週末に畑で遊ぶ。

遊びがてら、大豆や米や野菜の種をまいて、それらを収穫して、ときには草取りもして、みそ汁を飲んでいる。

夏休みや冬休みにはキャンプをして、かまどで大豆を茹でて、塩を炊いて、こうじをつけて、みそを仕込んでいる。

商店街のみそ作業所は「みそ汁子ども食堂」でもあり、無料でみそ汁とご飯がふるまわれ、子どもだけでなく老若男女が集まって、にぎやかしくみそを囲んでいる。

そうやって各地でつくられる多様なみそが、世界の被ばく者のもとに配られていく。

お互いの命に寄り添いあい、つながりあう、みその輪が広がっていく。

世界のすべての場所から被ばくによる苦しみがなくなる未来に向かって。





五菜三根のみそ汁
カリウムを多く含んだ葉もの野菜と、ミネラルの多い根菜を5:3ほどの割合で入れたみそ汁。
五菜三根のみそ汁は、現代の栄養学から見てもバランスがよく、がん予防作用、血圧抑制作用、老化防止作用などの効果がとても高いことが分かっている。
ほうれん草や春菊などの葉もの野菜に多く含まれるカリウムは、 塩分の過剰吸収を防ぐ。ごぼう、こんにゃくなどに含まれる食物繊維も、塩分を体外に排出することを助ける。
「塩分は控えめがいいらしい」という時の「塩分」は戦後に広まった精製塩のこと。
カリウムや食物繊維を多く含むみそ汁は、体内の塩分濃度を調整したり、高血圧を予防する。
食養生の実践家であり、五菜三根みそ汁を欠かさず飲み続けた徳川家康は、平均寿命が37歳ほどだった時代に75歳まで生きた。



汁講
戦国時代に流行ったといわれる、みそ汁を囲む集い。 汁会ともいう。 一汁一菜を中心とする食養生が普及して以来、みそ汁を囲んだ持ち寄りごはん会として続いてきた。 客人は各自に飯を持ち寄り、会の主はみそ汁だけを用意してもてなす。お互いの日々の労をねぎらいあい、体をいたわりあう養生の集いを現代にもよみがえらせたい。


朝みそ

朝起きたら、まずみそ汁。またはみそをお湯に溶いただけの「みそ湯」をいただく。夜の間に休んでいた内臓が、みそ汁やみそ湯から効率良く栄養を吸収できるだけでなく、みその中の様々な成分や微生物の助けによって、腸壁や腸内環境に好影響を及ぼす。
体の浄化や老廃物の排泄のさかんな朝の時間帯に、しっかりみそ湯でおなかを温めて、腸内細菌の働きを助けることで、健やかに一日を始められる。


モバイルみそスタンド
日本列島は古い時代から、旅人が陸路や水路を使って盛んに行き来していた土地。
旅人や飛脚や、荷を運ぶ者たちは、携帯用のみそを携帯していた。
彼らは、みその表面を焦がした「焼きみそ」や、みそを丸めた「みそ玉」を腰にぶら下げて、旅の途中の茶屋などでお湯をもらい、湯飲みで溶いてみそ湯にしていた。
道の駅や港や空港、カフェやゲストハウスやシェアハウスの一角に、いつでも味噌を補充できる「みそスタンド」を作ろう。
そこに立ち寄る人たちは、旅の糧として、瓶やタッパーにみそを詰めていける。
みそスタンドには、わかめや昆布やネギや生姜が置いてあり、味噌とお湯を注いで水筒に詰めてテイクアウトすることができて、手軽に一日の栄養補給と健康管理に役立てられる。

















世界のすべての場所から 被ばくによる苦しみがなくなりますように

























参考文献


放射線 -人類が開けたパンドラの箱
クラウディオ・チュニス 丸善出版


地球進化 46億年の物語 -「青い惑星」はいかにしてできたか
ロバート・ヘイゼン  講談社


体質と食物 -健康への道
秋月辰一郎 クリエー出版


内部被曝の脅威
肥田舜太郎・鎌仲ひとみ ちくま文庫


味噌
柴田書店


みそ文化誌
発行:全国味噌工業協同組合連合会
監修:中央味噌研究所


みそサイエンス最前線
発行:みそ健康づくり委員会


本朝食鑑Ⅰ
人見必大 平凡社


内科医が教える放射能に負けない体の作り方
土井里沙 光文社新書


家族を内部被ばくから守る食事法
岡部賢二 廣済堂出版


図解でよくわかる 土壌微生物のきほん
監修:横山和成 誠文堂新光社


発酵はマジックだ!
小泉武夫 編集社未記入


身近にあふれる「微生物」が3時間でわかる本
編著:左巻健男 明日香出版社


植物と叡智の守り人 
 -ネイティブアメリカンの植物学者が語る科学・癒し・伝承
ロビン・ウォール・キマラー  築地書館


アクティブ・ホープ
ジョアンナ・メイシー&クリス・ジョンストン 春秋社


知れば知るほど面白い 不思議な元素の世界
小谷太郎 大和書房

























著者 冨田貴史  
イラスト 冨田栄里・川村若菜
装丁 川邊雄

第一刷 20198月吉日

出版 冨貴書房
fukishobo@gmail.com
https://fukishobo.blogspot.com/



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